【創価】活動していたメリットって何?の問いかけに自分の心から返ってきた返事は?
独身時代会社でのいじめがきっかけで活動を始めた。
信仰で自分が変われて、ひどい環境下で10年も勤め上げれた。
私はこの信仰で変われた!
これが私のこの創価の信仰の糧だった。
変わったのは自分が全部責任を取れば丸く治る。
空気をよむ自分になる。理不尽な事を言われても飲み込む自分になったという事だったのだ。
カウンセリングを、受けて
「そんな自分をせめて幸せになってるんですか?」
という言葉に目が覚めた。
未完了の怒り、抑圧した怒りは
常に脳は
「まだ問題が解決していない」
と信号を送り続ける。
それをずっと抑圧し続けると
人間は耐えられなくなる。
何も考えられなくなる。
感情や感覚を抑圧すればするほど
心の底から強くわきあがってくる。
そして自分の感情が、感じる事ができなくなる。
自分で自分を追い込んでいる事に気付かない
勝手に燃え尽き症候群になってしまう。
どんな自分でもいいという事を受け入れる。
出来ない、やりたくない自分も居てもいい。
人の期待や他人の期待に応えるのをやめる。
自分の感情や感覚を大事にする事。
周りの人の承認はいらない。
他人の犠牲になったり、
ストレス解消のゴミ箱役を降りる事。
出来ない事は出来ないとハッキリ言う。
それで相手の機嫌を損ねたとしても、他人の感情はコントロール出来ないんだよ。
自分の本当の声に耳を傾けて内側に意識してあげて。
と‥全て腑に落ちるカウンセリングだった。
子供の頃から理不尽に思っていた事。
いい人、頑張ってる人を演じてストレスを溜め込む自分。
やりたくなくても学会の中ではやらなければならない事が次々と押し寄せてきて、思考できなくなり、不満すらも考えてはダメな世界ってなんなんだろう。
現実は、主人と娘と一緒にいる時間が幸せなのに。
大好きな家族を忘れて組織の為に!先生の為に!って頑張らなければならないってなんでだろう‥
あえてストレスを貯めに行ってるのってなんなんだろう。
やりたくないなんて思ってもいけないし言ってもいけない。
なんでも
「はい!喜んで」
と受け入れなければならない。
学会の為に先生の為にと思ったらできるでしょ。って押し付けに
もう耐えられなくなっていた。
カウンセリングの先生は
若いうちは耐えられるって。年々と耐えられなくなるよ。だからキレる老人がいたり、いい歳の人があおり運転したりしてしまうんだよって。
「あと苦しいと思ってもやってしまう事にはあなたにとって何かメリットがあったの?」
と聞かれた
メリット?
ってなんなんだろうと掘り下げる。
学会活動をする事で母親は機嫌が良くなった。
友達と遊んでても彼氏といても怒られなくなった。
家に居場所がもらえた。家族の一員になれたような気がする。(創価家族という家族ね)
父親に怒鳴られたりしなくなった。
両親のストレス解消の捌け口からは逃げられた。
そこがメリットだった事に気づいた。
今結婚して幸せな家庭にいるあなたにとったらすでにそれらのメリットは無くなったから耐えられなくなったのよ。
って‥
本当にそうだ。
女子部の時のようになんで出来ないんだろう?
なんで会合に行った後の
虚しさや、怒りが込み上げてくるんだろう?
てずっと思っていた。
蓋をしていた女子部の時の嫌な思い出や小さな頃から感じていた両親への恨みが紐づけられていてそれが引っ張られてくるからなんだと。
違和感を感じるたびに彼らが目に見えない嫌悪感として自分の中でうごめきはじめる。
自分をいつも追い込んでダメな自分はいてはならない。
先生の為に頑張らなければならない
と思えば思うほど、過去の記憶が蘇るって事だったんですね。
本当は、やりたくない、出来ないって思っているのに虚栄を張っていた自分にやっと気づいたんです。
うん。納得。
祈って解決できるわけないな。
祈っててもここまで到達しなかった。
祈ると自分をさらにせめていた。
そうすると私を責め立てる現実がおきる
わけがわからなかった。
アドバイスされてここまで掘り下げてやっと見えてきた。
ってなると‥
やっぱり、活動する意味ってなんなんだろーーーー