【創価】学会の中の目標とは必ず達成しなければならない物である
地区目標というフレーズに怒りを覚えてしまうのはなぜだろうと掘り下げてみた。
まず、地区女性部長になりたての頃、地区の新聞長と話した時に
「地区目標は絶対達成しなきゃいけない。もし足りなかった場合は地区女性部長が責任取るのよ」
と言われた時に身体が硬直した。
どんなパワハラにも耐える。笑ってやり過ごす。
自宅に帰り、そんなの出来ないどうしよう。どうしよう。といった不安が襲ってくる。
みんなにやってもらうしかない。
私には新聞啓蒙なんて出来ない。
とってくれる友人もいない。
地区婦になったらそりたつ壁はまずは新聞啓蒙だ。
私は心のなかでは新聞啓蒙なんてやりたくないと思っている。
のにやらなければならない。地区の方に啓蒙挑戦してもらえるように声かけしなきゃ。
って新聞の事がグルグルまわる。
頭が真っ白になっていく。
掘り下げていくと
昔の記憶がまた襲ってくる。
女子部の時、私が一番怖いと思っている先輩に
「先生のために新聞啓蒙10部やろう!私が10部やるんだからさそりも10部できるよね?出来ないなんて言わせないよ」
と言われた事があった。
「うん」
としか言えなかったが怖くてたまらなかった。
10部は出来なかった。その半分もいかなかった。
その先輩は火の信心の人で、彼氏ができたら急に姿が見えなくなるような人で。
自分が都合が悪いと一切連絡が取れなくなる。
が、自分が活動にエンジンがかかると、
「さそり!活動どーなっちゃってんの!?」
とか言ってくるんですよ。
私は通常通り活動してるのに。攻撃してくるんです。怖くて怖くて
これが本当に嫌で嫌で。
都合悪いとバックレるのに。
自分勝手すぎる。。でも怖いから何も言えない。
それでもごめんと謝らなきゃならない。
理不尽を感じながら自分を殺す日がよくあった。
この嫌な過去の先輩を今の新聞長に投影をしていた事に気づく。
嫌悪感は過去の記憶から引っ張り出していただけなんですね。
今の新聞長が言った事は普通の事を言っただけで、私が勝手に先輩を投影して過剰に反応してたという事。
怒るべきは相手は新聞長ではなく過去の先輩。そこなんだ。
新聞啓蒙出来ない自分も受け入れて許していこう。やりたくない自分も受け入れていこう。
目標はあくまでも目標、達成しなかったらマイナスで出せばいい。って事を丁寧に伝えれば良かったって事なのかな。