創価3世奴隷マインドを手放します

創価3世として現在地区女性部長ですが活動休止中

【毒親】毒親の支配下で育った私

両親は私を支配するタイプの親でした。

それに信仰も重なり。

キングオブ毒親です。

 

兄はとにかくかわいがられる(愛玩子)

姉にはおとなしくて真面目だから興味なし

私はヤンチャだからいい子でいなさいと支配(搾取子)

 

父は自営で家の1Fがお店になっていました。

学会の看板をせおってるんじゃーみたいな顔して、世間体を気にしていた割には

毎日パチンコ三昧。

若い時はマージャンも朝までコースだったみたいですよ。

 

私が金髪にしたら

 

「なんだ!なんだその髪の色は?なんだその目は?今すぐ黒くしてこい!」

 

と胸ぐらを掴んできました。

 

高校生の時にコンドーム持ってた時にも

吹き飛ばされましたね。

友達からお守りだってもらっただけなのにね笑

 

「刺青が入っているような男とは結婚は許さない、学会に入会しないと結婚は許さん」

 

とかも言われたなぁー全部毒姉が毒母にチクって父親が私に怒ってくる。

その流れだった。怖い怖い。人間としてどーなんだろ。血が繋がっていることすら恥に感じるわ。

 

小さい親でした。まぁそれでも地区部長やってましたよ。

 

父は10年前に非アルコール性肝炎から肝硬変になり亡くなったのでね。

悪い事は言いませんがとにかくわがままな人でした。

 

母はというと子供を思い通りにしたい支配型の毒親ですね。

 

私が友達と遊んで楽しかったなんて話すると睨んできたり、彼氏ができると待ち合わせ場所までストーカーしてきたり

睨んでくる目が嫌で嫌でたまりませんでした。

今でもあの目を思い出すたびに嫌悪感です。

身体が硬直しますね。

 

高校受験に失敗した時に母は私に

「絶対落ちてると思ってた」

ってボソっと言ったんです。

 

子育てしている今だから思うけど本当にひどい人たちだなぁと思います。

 

だいたい遊んで帰った後はいつも機嫌が悪く。

いつも怒られていました。

 

それでも無視して遊んでましたけどね。

 

友達や彼氏と遊んでる時間は本当の自分を認めてもらえていて本当に幸せな時間でした。

 

家は安心安全の場所ではありませんでした。

 

常に否定され、顔色を伺い生活をして、いつも他人と比べられて嫌だった。

 

私は子供の頃はなんでも沙汰なくこなして勉強にも運動もそんなに困らずな子でしたから、なんか変なプレッシャーがありました。

 

末っ子の私はいつもお古ばかりで欲しい物を買ってもらえた記憶がありません。

小4の頃かなどーしても欲しい物があって

成績が上がったら買ってあげるって初めて言ってもらえて。めっちゃ頑張ったんだけど、成績上がらなくて、買ってもらえなかったんですよ。

頑張った事すら認めてもらえなくて、

 

「残念でしたー」

 

って成績表閉じてバカにしながら言った父が今でも許せないんですよね。

そのシーンをいまでも鮮明に覚えています。

 

その数日後兄が新しいゲームを父に買ってもらってて。条件無しで。

 

頑張っても私は無理なんだ。大人を信じた私がバカだったと。大人に頼るのを諦め人生を諦めた瞬間でしたね。

 

こうやって考えてみると本当に毒親だなぁーってしみじみする。

 

子供を産んで思うけど、私にしていた仕打ちが信じられなくて。

 

私と主人は娘は可愛くて可愛くて娘が楽しんでる姿を見る事がこの上ない幸せなのに

 

あの人たちは私が幸せになる事を許可しなかった。

 

宗教以前の問題が家庭の中であった。

 

ここにも未完了で抑圧した怒りがあったのです。

 

毒親

創価