創価3世奴隷マインドを手放します

創価3世として現在地区女性部長ですが活動休止中

【いじめ】女王の教室から励まされた言葉

いじめは無くならない。

大事なのは

子供たちがいじめに立ち向かう精神力をつける事。

いじめに対処する知恵をつける事。

いじめられても戦おうという気力がないから

いつまでたってもいじめられる。

犯人を見つけても何の意味もない。

大事なのは将来いじめにあった時に

耐える力や

解決する方法を身につけること。

社会の荒波にも耐えることができる大人に。

いじめの体験を通して誰かの辛い気持ちに心から寄り添う事は必ず誰かの支えになります。

 

【マインド】30代後半から生きづらくなる理由。自分軸で生きたい!のに‥

明らかに感じる。

 

生きづらさ。

 

イライラするし。

 

子育てしているから?

 

いいえ

 

それは誰かの為に生きているからだそうです。

 

誰かの為に生きる事がモチベーションになってるから。

 

自分の為に生きてない。

自分がどうしたいか?わからなくなってる。

自分の本音。

 

自分軸で生きたいって思ってるのに、先生の為に頑張る!組織の為に頑張らなきゃって思ってしまう心の解離に耐えられなくなっていたんだな。

 

先生の為にとかって究極の他人軸じゃん!って気づいた。

 

ここに本気で向き合っていかないともっと生きにくくなっちゃうよ。

 

何かおかしいなって思った時は自分らしく生きてるか?振り返ってみるといいかもね。

【毒親】毒親育ちの連鎖は断ち切らなければいけない無意識で襲ってくる支配したい気持ち

活動しなくなってから3ケ月目に入りました。

 

昨年の11月から年末まで、活動は無くなったお陰で自分や娘を見つめるいい時間となりました。

 

2ケ月間苦しくて苦しくて。

 

何度逃げ出したい。いなくなりたい。引っ越したい。

と思っただろうか

 

私が活動出来なくなるちょっと前から小4の娘の友達関係がうまくいってなかったんですよね。

 

そんなの内部の人に言ったら、

 

「ほらバチが当たった。現象が出たんだ」

 

って言われるだろーなー。そんな事言いう人には

 

「じゃぁ頑張ってたのにこの結果になってるのはどーゆー意味なんだ?責任とってくれ!時間を返してくれ!」

 

って言い返してやる。

 

活動してても嫌な事は起きるのです。

活動してなくても嫌な事は起きるのです。

 

それを たら れば で話しててもなんの意味もないのです。

 

信心してなかったからこうなったのよ。

 

信心してたからこのくらいですんだのよ。

 

と結果は同じなのに。

 

捉え方の違いだけで騙されちゃいけないのです。

 

信心してなくてもいい人生を歩めるし悪い人生も歩めるんです。

 

選択するのは自分です。

 

冬休み前、娘が小1の時から近所で仲良くしていた子とウマが合わず決別をしたのです。親友でした。

 

11月は丸1ケ月話し合いをしたり、こっちが折れてみたり、あっちが謝ってきたりだけど、やっぱケンカしてといった感じで平行線でした。

ケンカの発端は相手の子Yが仲良しグループラインで

「体育を一緒にサボろう」

ってみんなに声をかけた事からでした。

他の子は私もサボるーって雰囲気の中

娘は

「私は体育やるよ」

と返信してました。

 

私はそのグループラインを見ながらこれは大変だ!と思ってYのママに通報。

そのグループラインを遡ると

「○◯ちゃん今日もムシする?」

とYが言っている事も発見!

Yのママは激怒。

帰ったら問い詰める!と言ってくれました。

 

娘が学校から帰ってきたので◯◯ちゃんをみんなでムシしてるの?ってきいたら

「してる」

と言っていて。

Yがムシしようって言ってきたって。

Yは春にも他の子をムシしていて、秋は今のターゲットをムシしているようでした。

 

YママがYに体育やったのかといつめたら

「やった」

とずっとシラをきっていたようで、◯◯ちゃんもムシしてるの?と問い詰めると

泣き出して、

「△△ちゃんが無視しようって言いだして私は無視したくなかったけど、私がハブられるのが怖いからやめようって言えなかった」

と言ったようで‥私は目が点になってしまった。

 

Yは親の前や学校では優等生。頭も良く、人気者なんです。

ママには嫌われたくない。親の期待に応えたいと必死になっている感じです。

自分のブラックな部分はママには絶対見せない。そんな子なんです。

 

その日からイジメの標的は娘になったのです。

あんたのママが告げ口したから私が怒られた!

あんたのせいよと言わんばかりの態度でクラスでは急に怒ったり、無視したりがスタートしました。

 

それでも近所だから一緒に帰らなければならなく、2人っきりになったら謝ってきたと思いきや

「私が謝ってあげたのに」

とか言う始末。

 

どうしたらいいもんか‥と1ケ月毎日毎日、今日は大丈夫だったかな?と朝送り出す時、帰ってきた時、心が痛みました。

 

学校の先生にも相談しながら毎日が地獄のようでした。

自分がいじめられる方がよっぽど楽。変わってあげたいと。

 

しまいに娘を孤立させようと周りの友達を引き入れ始めました。

 

私もがまんの限界で、娘に

 

「Yの下に潜り降参すればいいんじゃないか?

ご機嫌取りになればいいじゃん?」

 

私は娘にゴミ箱役をかって出ればうまくいくなんて言ってしまったのです。

(↑この時にはまだ私がゴミ箱役をオッケーしていた事に気づいていない。)

 

そしたら娘は

 

「そんなの、できる訳ない。嫌だ」

 

とハッキリ断ったのです。

 

「なんでそれが出来ない?そのくらい出来なければ人生人間関係うまくいかないよ!」

 

と怒ってしまいました。

私はその娘の反応にとてつもない怒りに襲われた。

 

なんでこんなに過剰に反応したのか?

私は娘を思い通りに動かせたがっている‥

これは支配だ!

 

すぐに掘り下げました。

 

その時に、私はいつも誰かのストレス発散の捌け口になってその場を乗り切る役をかって出てた事に気づいたのです。

 

幼少期の両親のご機嫌取りをしていた時、独身時代の会社でのイジメの時、女子部で意地悪な先輩のストレスの捌け口にされてた時。

 

いつも私はそうだった。辛かった‥

いつも私を攻撃する人がついて回った。

それは私が奴隷マインドをオッケーしてたから、そのような人間がついてまわるのだ。

私が蒔いた種なのだ。

 

そんな地獄の奴隷マインドを我が娘に伝授しようとしている自分がここにいたんです。

私の思い通りにしないと大変な事になるって支配しようとしていたのです。

 

私はなんて毒親なんだ‥と反省し涙が止まらなくなりました。

 

それと共に、娘は強かった。ちゃんと自分はそんなのは無理って言えてた。偉い!って。

弱い子だったらいじめっ子の機嫌をとってゴミ箱役をかって出るもんな。

 

現にYの周りにはそのような子が取り囲んでいる。

 

Yの家庭の事情も私は知っているためYも可哀想な点が多々ある。

 

Yはこの先もきっと誰かのせいにしていきる人生を送るんじゃないかと思うと、もう関わらない方がいいんじゃないかと思い。

 

娘には一緒に友達をムシしたりしたから今こんな目にあっている。

自分で蒔いた種は刈り取らなければならない。

やった事はやられると言う事を丁寧に話した。

 

そしてYには

こちらから頭を下げて離れてもらった。

 

そこから数日イジメは悪化したが、1週間もすると標的から外され、ターゲットは他の子がになった。

 

今ではそこに執着をする事なく関心を持たないで、自分が一緒にいて安心できる子を見つけてその子のお陰で、学校にも楽しんで行くようになった。ホッとしています。

 

このように自分の心の闇が

現実世界に子供を通して現れてくる事を実感しました。

そして自分の過去と振り返る事で課題が明確になり、学び、確信となっていくのを感じました。

 

逃げずに向き合って学ぶ事はとても大切。

 

2023年は

振り回される人生を手放して、認識を変えて選択していこうと!

心から誓いました。

 

 

 

 

【創価】活動していたメリットって何?の問いかけに自分の心から返ってきた返事は?

独身時代会社でのいじめがきっかけで活動を始めた。

 

信仰で自分が変われて、ひどい環境下で10年も勤め上げれた。

 

私はこの信仰で変われた!

 

これが私のこの創価の信仰の糧だった。

 

変わったのは自分が全部責任を取れば丸く治る。

空気をよむ自分になる。理不尽な事を言われても飲み込む自分になったという事だったのだ。

 

カウンセリングを、受けて

 

「そんな自分をせめて幸せになってるんですか?」

 

という言葉に目が覚めた。

 

未完了の怒り、抑圧した怒りは

常に脳は

「まだ問題が解決していない」

と信号を送り続ける。

それをずっと抑圧し続けると

人間は耐えられなくなる。

何も考えられなくなる。

感情や感覚を抑圧すればするほど

心の底から強くわきあがってくる。

そして自分の感情が、感じる事ができなくなる。

自分で自分を追い込んでいる事に気付かない

勝手に燃え尽き症候群になってしまう。

 

 

どんな自分でもいいという事を受け入れる。

出来ない、やりたくない自分も居てもいい。

人の期待や他人の期待に応えるのをやめる。

自分の感情や感覚を大事にする事。

周りの人の承認はいらない。

他人の犠牲になったり、

ストレス解消のゴミ箱役を降りる事。

出来ない事は出来ないとハッキリ言う。

それで相手の機嫌を損ねたとしても、他人の感情はコントロール出来ないんだよ。

 

自分の本当の声に耳を傾けて内側に意識してあげて。

 

と‥全て腑に落ちるカウンセリングだった。

 

子供の頃から理不尽に思っていた事。

いい人、頑張ってる人を演じてストレスを溜め込む自分。

やりたくなくても学会の中ではやらなければならない事が次々と押し寄せてきて、思考できなくなり、不満すらも考えてはダメな世界ってなんなんだろう。

現実は、主人と娘と一緒にいる時間が幸せなのに。

大好きな家族を忘れて組織の為に!先生の為に!って頑張らなければならないってなんでだろう‥

あえてストレスを貯めに行ってるのってなんなんだろう。

 

 

やりたくないなんて思ってもいけないし言ってもいけない。

なんでも

「はい!喜んで」

と受け入れなければならない。

学会の為に先生の為にと思ったらできるでしょ。って押し付けに

もう耐えられなくなっていた。

 

カウンセリングの先生は

若いうちは耐えられるって。年々と耐えられなくなるよ。だからキレる老人がいたり、いい歳の人があおり運転したりしてしまうんだよって。

 

「あと苦しいと思ってもやってしまう事にはあなたにとって何かメリットがあったの?」

 

と聞かれた

メリット?

ってなんなんだろうと掘り下げる。

 

学会活動をする事で母親は機嫌が良くなった。

友達と遊んでても彼氏といても怒られなくなった。

家に居場所がもらえた。家族の一員になれたような気がする。(創価家族という家族ね)

父親に怒鳴られたりしなくなった。

両親のストレス解消の捌け口からは逃げられた。

 

そこがメリットだった事に気づいた。

 

今結婚して幸せな家庭にいるあなたにとったらすでにそれらのメリットは無くなったから耐えられなくなったのよ。

 

って‥

本当にそうだ。

女子部の時のようになんで出来ないんだろう?

なんで会合に行った後の

虚しさや、怒りが込み上げてくるんだろう?

てずっと思っていた。

 

蓋をしていた女子部の時の嫌な思い出や小さな頃から感じていた両親への恨みが紐づけられていてそれが引っ張られてくるからなんだと。

違和感を感じるたびに彼らが目に見えない嫌悪感として自分の中でうごめきはじめる。

 

自分をいつも追い込んでダメな自分はいてはならない。

先生の為に頑張らなければならない

 

と思えば思うほど、過去の記憶が蘇るって事だったんですね。

 

本当は、やりたくない、出来ないって思っているのに虚栄を張っていた自分にやっと気づいたんです。

 

うん。納得。

 

祈って解決できるわけないな。

祈っててもここまで到達しなかった。

祈ると自分をさらにせめていた。

そうすると私を責め立てる現実がおきる

わけがわからなかった。

 

アドバイスされてここまで掘り下げてやっと見えてきた。

 

ってなると‥

やっぱり、活動する意味ってなんなんだろーーーー

 

 

 

【頭痛】私が一番辛い事

一番辛いのは

 

「頭痛」

 

子供の頃から頭痛持ち。

 

Twitterでこのようなツイートがあった

 

 

ストレス耐性の低い人は、首や背筋がガチガチに固かったり頭痛もちの人が多い。それは常に何かを警戒していて心と体が緊張状態だから。子どもの頃からずっとこの状態で「これが当たり前」と感じている人も多い。

 

 

 

心療内科の先生のツイートだったかな。

 

あー私だって思った。

 

私は首こり、肩こりが半端なくてほぐしてもほぐしても無理だからもう諦めた。

 

頭痛が毎日なんです。

 

頭痛薬は毎日常用です。

 

脳神経外科の先生も毎日飲むのはやめてと言われてるのに、やめられない。

 

 

ここは本当に治したい所なんです。

 

生理の時の頭痛が半端なくて、薬はもう効かないのです。

 

 

生理の時の頭痛は本当に痛いんだと思う。

 

普段の時の頭痛は多分痛いような気がするとか、痛くなりそうっていう段階で薬を飲んでしまう。

 

痛みが怖いから。

 

なぜ、そんなに怖い?

 

と掘り下げてく。

 

 

そこにも過去のトラウマがあるんです。

 

頭が痛すぎて嘔吐するのが怖い。

 

私は幼稚園の頃から頭痛持ちで幼稚園の先生に

「頭が痛い」

っていうと

「またぁー?子供が頭痛なんてない!」

って言われてショックだった。

本当に痛いのに。相手にしてもらえなかった。

 

幼稚園で夏休みにお泊まり教室があってその時に頭がガンガンに痛かった。

けど先生に言えない。

もう痛すぎて痛すぎて、泣きながら先生に助けを求めた。

そしたら

「なんでもっと早く言わないの!?」

って怒られて。。

保健室みたいな所に連れてってくれた先生に向かって嘔吐してしまった。

 

その時の記憶がトラウマとして残っている。

 

 

慢性痛の本当の原因は脳の電気信号が敏感になってる事らしい。

 

ストレスやトラウマが痛みを引っ張り出して信号を送ってるっぽい。

 

トラウマかぁ‥

 

今年はちゃんとセラピーでトラウマを解除する!それが今年の一番の目標。

 

【創価】学会の中の目標とは必ず達成しなければならない物である

地区目標というフレーズに怒りを覚えてしまうのはなぜだろうと掘り下げてみた。

 

 

まず、地区女性部長になりたての頃、地区の新聞長と話した時に

 

「地区目標は絶対達成しなきゃいけない。もし足りなかった場合は地区女性部長が責任取るのよ」

 

と言われた時に身体が硬直した。

 

どんなパワハラにも耐える。笑ってやり過ごす。

 

自宅に帰り、そんなの出来ないどうしよう。どうしよう。といった不安が襲ってくる。

みんなにやってもらうしかない。

私には新聞啓蒙なんて出来ない。

とってくれる友人もいない。

 

地区婦になったらそりたつ壁はまずは新聞啓蒙だ。

 

私は心のなかでは新聞啓蒙なんてやりたくないと思っている。

 

のにやらなければならない。地区の方に啓蒙挑戦してもらえるように声かけしなきゃ。

 

って新聞の事がグルグルまわる。

 

頭が真っ白になっていく。

 

掘り下げていくと

 

昔の記憶がまた襲ってくる。

 

女子部の時、私が一番怖いと思っている先輩に

 

「先生のために新聞啓蒙10部やろう!私が10部やるんだからさそりも10部できるよね?出来ないなんて言わせないよ」

 

と言われた事があった。

「うん」

としか言えなかったが怖くてたまらなかった。

 

10部は出来なかった。その半分もいかなかった。

 

その先輩は火の信心の人で、彼氏ができたら急に姿が見えなくなるような人で。

 

自分が都合が悪いと一切連絡が取れなくなる。

 

が、自分が活動にエンジンがかかると、

「さそり!活動どーなっちゃってんの!?」

とか言ってくるんですよ。

私は通常通り活動してるのに。攻撃してくるんです。怖くて怖くて

これが本当に嫌で嫌で。

 

都合悪いとバックレるのに。

 

自分勝手すぎる。。でも怖いから何も言えない。

それでもごめんと謝らなきゃならない。

 

理不尽を感じながら自分を殺す日がよくあった。

 

この嫌な過去の先輩を今の新聞長に投影をしていた事に気づく。

 

嫌悪感は過去の記憶から引っ張り出していただけなんですね。

 

今の新聞長が言った事は普通の事を言っただけで、私が勝手に先輩を投影して過剰に反応してたという事。

 

怒るべきは相手は新聞長ではなく過去の先輩。そこなんだ。

 

新聞啓蒙出来ない自分も受け入れて許していこう。やりたくない自分も受け入れていこう。

 

目標はあくまでも目標、達成しなかったらマイナスで出せばいい。って事を丁寧に伝えれば良かったって事なのかな。

 

 

 

 

 

 

 

【創価】社会に出たらなぜか年上の女の人と上手くいかない

なぜ年上の女の人が苦手なのだろう。

 

いつも思っていた疑問でした。

 

私はどんなに苦手な相手でもその場をやり過ごす事ができます。

ニコニコしながら心では怒ってるみたいな感じで。

 

だから人付き合いは上手で、世渡り上手とさえ思っていました。

 

でもその逆だったんです。

幼少期の時に年上の子にいじめられた事がありました。姉からもいつも間接的な嫌がらせを受けていました。母からも。

相手の下に潜り込んで、自分を殺して生きる術を手に入れていたのです。

 

だから無意識に年上の怖そうな女性を避けてしまう。仲良くなったら下に潜って持ち上げてしまう癖があるんです。

 

どんなパワハラにも耐えてやってしまう。それは本当は心から怖かったからだんだと。

 

ここ最近、学会から離れ自分を見つめていく中で気づきました。

 

自分をゴミ箱扱いしてしまう性格を強化させてしまった20代の記憶がフラッシュバックしてきました。↓↓↓

 

大学進学なんてさらさらない私は18で流れ作業の工場に勤務。

 

流れ作業は私の性格上合わず半年で辞める。

 

辞める時も父親に怒鳴られたなぁー

 

「なんで!?辞めるんだ?半年ももってないじゃないか?そんなやつはどこも勤まらん!」

 

って。兄も仕事をすぐ辞める人だったけど兄には怒ってなかったのに‥

矛盾だらけの死んだ父はどーでもいいんだけど。

 

そのあとバイトでくいつないで、19歳の時に今度は事務職につきました。

 

そこでは壮絶ないじめが待っていました。

 

ハローワークの人がここはしょっちゅう募集が出てて、クレームも出てるけどいいの?って念を押されたんですよね。あの時にやめときゃよかったのに父親が早く就職しろーってうるさいからここに決めたって適当に決めちゃったんですよね‥

 

そこは女社長でした。旦那さんが会長で家族経営の小さな事務所でした。

 

社長の風貌はデカいメガネをかけて、スカッとジャパンの泉ピン子風の女社長でした。

 

事務員さんが全員いきなり辞められちゃったみたいで、私の後に次々に面接にくる感じでした。

 

私はそこで働く事になるのですが、人数が揃うと社長が誰かしらをターゲットにしていじめ始めるような人でした。

 

私も小さなミスから標的となり、

 

「あなたはこんな事もできない!いつも言ってるのになんでわからない?もーいい!!」

 

と怒鳴られ

 

次に甘えた声で

「◯◯さぁ〜ん、さそりさんこんなことも出来ないのーこれあなたがやってくれるかしら?」

 

って露骨に私が出来ない事をみんなの前で言って私には仕事を回さない始末。

 

おまけに

「倉庫の片付けしてくれる?」

 

とか言ってきて、倉庫の片付けをほこりまみれになってやってれば

 

「さそりさんはサボってる。」

 

ってみんなで暖房の効いた事務所でお菓子を食べながら私の文句を言ったりするような人でした。

 

悔しくて悔しくて、あの時は本当に病みました。

でも、また辞めるなんて言ったら父親に何を言われるかわからず、苦しくて苦しくて。

 

そんな時に、学会の女子部が私を励ましにきました(母親が今の状況を女子部に告げ口して来た)

憔悴しきった私を励ましてくれたんですよね。

まぁ下心ありありなのもわかったんだけど、それ以上に憔悴してたんですよ。

大人の女子のいじめほどタチが悪い物はありませんから。

 

その時から活動をし始めました。

女子部の先輩に

「相手は変わらないのよ。自分がかわるの。」

「御宮使いを法華経とおぼしめせとの御書を通してそこがあなたの修行の場所なの。そこで輝く事、人の3倍仕事するのよ。」

 

と、今となっては憔悴している人を洗脳するテンプレを並べたくり洗脳された私は

 

エセ自己啓発みたいのにまんまとハマって学会活動するようになりました。

 

自分が変わるとの言葉に。よしこうしてみようと祈って出た答えは

 

相手の下に潜って、あなたの言う事をなんでもききます。敵ではないです。あなたの機嫌が悪くなるような行いはしません。全て受け入れます。

 

と言ったような支配される事にオッケーをだす自分になってしまったのです。

 

これが出た答えでした。

 

そこから、周りが変わり始めました。

 

さそりさんはなんか変わったわねっと言われるようになって、学会活動ってすごい!って思うまでになっていました。

 

学会の洗脳は完成です。

 

私の本当の気持ちに蓋をして常にいい人でいる。言い訳はしない。あなたが悪いって言われたら悪くなくてもすみませんって謝る。

そんな自分になっていました。

 

それが20歳の時から29歳まで続きました。

もちろんその間女子部ではバリ活。

 

意地悪な社長を信心を気付かせてくれた人なんだとまで感謝までしてしまう始末。

 

会社でもゴミ箱役、学会活動でも姉や意地悪な先輩方にパワハラされた9年。

 

苦しかったけど、唯一友達と遊ぶ時間、当時の彼氏といる時が何より幸せでそこではほんとの自分を出せる時でした。

 

年齢も29になり、今の主人と出会い結婚すると言った理由で寿退社でした。地域も変わるので新しい出発との事で

全てから解放されるー!

と晴れ晴れしていました。

 

ちなみに私の後に入ってきた事務員さんは1ケ月も耐えられずにバックレたようです。